エッセイ 第9回

エッセイ 第9回

特別永住権を失って考えたこと

マサチューセッツ工科大学
梁 富好

 2年前に本誌で、私が韓国籍を喪失し在日「韓国」人でなくなったことを書かせていただいた。そのストーリーを簡単にまとめるとこうだ。長年米国と韓国の「二重国籍」だった私は、海外旅行や出張の際に二つのパスポートを使い分けていたが、あるとき韓国へ入国する際と出国する際に、別々のパスポートを提示するというへまを犯してしまい「二重国籍」が韓国出入国管理局にばれてしまった。二重国籍を認めない韓国の出入国管理法によると、私が1999年に米国籍を取得した時点で韓国籍は実質的に喪失し、保持していた韓国パスポートも失効してしまっている。その韓国パスポートを使って何度も韓国への入出国を繰り返していた私は、「密入国常習犯」として罰せられ韓国籍を正式に喪失した。二重国籍というのは二重人格のようなもので、あまり安定した精神状態ではない。それが結果的に解消され少しほっとしたことも付け加えておきたい。

 さて、このようにして在日「韓国」人でなくなった私は、その後どうなったのか。実は私の法的地位はその後、ますます破壊され奪われていった。もちろん、それは自業自得であるのだが。

 日本生まれの在日コリアン(韓国籍、朝鮮籍)には特別永住権を与えられている。これは日本の植民地時代に「日本人」として日本に滞在していた多くのコリアンが、戦後のサンフランシスコ講和条約で「日本籍」を失ったことに伴い、日本に残ったコリアンや台湾人たちとその子孫に付与した永住者資格のことだ。1991 年の法改正で、「特別永住者」という在留資格が定められ、一般的な在日コリアンは朝鮮籍も韓国籍も「特別永住者」という資格に統一された。

 在日2世である私も生まれながらにして当然のように永住権を持っていた。良くも悪くも、在日コリアンは特別永住権を享受している。もちろん特別永住権は在日1世や2世達の権利闘争の中で勝ち取った権利でもあるのだが、そのような「闘争」にまったく関わっていない今の3世や4世にとってみると、特別永住権は「特権」のようなものだ。在日コリアンよりも一般外国人がより多く居住することになった日本で、そのような一般外国人に対する「特権意識」が在日コリアンの中でも浸透している。

 かくいう私も、やはり特別永住権は捨てがたい。長年アメリカに住み子供たちもアメリカで生まれ育ち、すでに生活の基盤がアメリカで築かれた私にとっても、やはりいつかは日本に戻るかもしれないという気持ちもあるし、「在日コリアン」としてのアイデンティティもそれなりに維持している。特に日米間を頻繁に往復している私にとって、成田空港での入国審査時に「日本人、特別永住者」用の審査レーンを利用できるのは非常に大きな「特権」だ。成田空港での再入国許可を持たない外国人に対する入国審査場での混雑は尋常でない。ひどいときには2時間近く待たされるときもある。日本が「Yokoso! Japan」というキャッチフレーズで外国人訪問客を増やそうと官民一体となっていろいろと政策を立てているが、一番最初にしなければならないのは成田空港の混雑を和らげることだろう。現状では日本を訪問する外国人の最初の印象が日本の玄関先である成田空港で最悪になり、「ようこそ」どころではなくなる。

 韓国籍を失った私は、在日韓国人として所持していた特別永住権はどうなるのか心配になった。多くの友人が、韓国人でなくなったので特別永住権も失効するはずだと脅しをかけてきた。私は非常に不安になり、早速日本の出入国管理局に問い合わせた。そこで判明したのは、特別永住権は植民地時代に日本にいたコリアンの子孫に与えられている永住権であって、現在の国籍そのものには依拠しないということだ。たしかにそうだ。私は学生時代に朝鮮籍から韓国籍に国籍変更したが、永住権はそのまま維持できた。私が韓国籍から米国籍に変わったからと言って、特別永住権を維持できないという道理はない。なるほど。

 そのように考えると、特別永住権というのはなかなか便利なものだ。アメリカには私のように現地で生活の基盤を築き上げた在米日本人もたくさん住んでいるが、多くの在米日本人が米国籍を取得しない最大の理由は、日本籍を失うことである。日本の法律上、日本人が他国籍を取得し日本籍を喪失すると、まったくの外国人扱いになる。「元日本人」としての特権はほとんどなく、日本に対する法的地位は普通の外国人とあまり変わらない。

 しかし、在日コリアンが他国籍を取得しても特別永住権はそのまま維持できる。今までどおり、特別永住者としての権利を享受できる。日本の法律の盲点というか、なんとなく日本人に勝った気分だ。ただ、私にはこの特別永住者としての特権が、そのときにはすでに失われていたことにまだ気づいていなかった。

 さっそく私は出入国管理局の指示に従い、日本での地位を特別永住権を有する在日韓国人から特別永住権を有する在日米国人への変更手続きを開始した。まず、韓国人としての「梁富好」が、米国人としての「Yang, Boo-Ho」と同一であることを証明しなければならない。両方のパスポートの写真を見ればわかるようなものだが、やはりそれなりの証明書が必要らしい。さすがお役所仕事である。その書類と米国帰化承認書のコピーをもって、日本に入国する際に成田空港出入国事務所に立ち寄り、韓国パスポートに貼ってある再入国許可証ステッカーをアメリカパスポートに移す手続きが取られる。そこで初めて「在日米国人」としての地位が確定され、私は晴れて在日米国人として第二の人生を歩み始めることになる。そのはずだった。

 しかし、私は韓国籍を失うきっかけとなったインチョン空港でのへま以上のへまを、実は成田空港でも犯していたということに、このときに知らされた。

 成田空港内の出入国管理事務所で持参してきた書類と両国のパスポートを提示して待合室で待っていると、窓口の後方で私の件で多くの係官がいろいろと話し合っているのがわかった。ちょうどインチョン空港で二重国籍がばれた際に係官が喧々諤々と私への対処の仕方を話し合っているのと同じ感じがし、一気に不安になってきた。30分ぐらいしたあとで、課長と見られる上司の方が現れ、私は別室に連れられていった。そこで、過去の出入国記録で私が米国パスポートで何度も日本に入国しているのが判明され、再入国許可証が失効していることが伝えられた。

 前述したように、私は長年、韓国パスポートと米国パスポートを恣意的に使い分けてきた。ただ、日本を出入国する際は再入国許可証をもつ在日韓国人として、韓国パスポートを使う必要がある。そのルールの存在は私も知っていたが、別にあまり大きな意味はないと思っていた。入国する際に米国パスポートを用い、出国するときに同じ米国パスポートを用いれば、日本政府にとれば普通のアメリカ人である「Yang, Boo-Ho」が単に出入国しただけであって、在日韓国人の「梁富好」は出入国していないことになると思っていた。なんとなく映画に出てくる国際スパイエージェントのような感じだが、二重国籍時にはそのように二つのアイデンティティをもって使い分けていた。

 私は過去に何度も米国パスポートで日本に入国していた。成田空港での外国人入国審査場が混雑しているのは前述したとおりだが、乗ってきた便や時間帯によっては、外国人用の審査レーンの方がすいているときがあり、そのときに米国人になりすまし入国していた。本当に各国の出入国管理法をなめ切っていたとしか言い用がない。

 特別永住権を持つ在日韓国人が海外に出る際は再入国許可証を取得すべきなのは言うまでもないが、出入国管理事務所の課長さんによると、アメリカパスポートで入国した際に滞在90日の短期滞在者として入国してしまっているので、その時点で再入国許可証が失効されてしまうということである。もともと二重のアイデンティティをもつ「国際スパイエージェント」なら別に問題が発覚しなかったのだが、今回の「同一人物証明書」によってこの2つのアイデンティティがはからずも一致してしまい、在日韓国人である私が短期滞在者として入国し再入国許可証を放棄してしまったということだ。さらにショックなことは、再入国許可が失効されることは、特別永住権も失効してしまうということである。そこではじめて、自分の犯した罪の大きさを認識させられた。

 特別永住権というのは、実は大そうな権利ではなく単なる在留資格だということを勉強させられた。在日コリアンがよりどころとしている特別永住権は、再入国申請をせずに一日だけでも海外に出てしまうと簡単に失効してしまう、ガラスのように壊れやすい在留資格のことだ。在日コリアンである私の家内も実は特別永住者資格を失っているのだが、それは再入国許可の期限を一日だけ超えているのを気づかずにアメリカから日本に入国してしまっただけで、特別永住資格が喪失してしまった。恐ろしくも脆弱な「権利」である。

 アメリカの永住権(グリーンカード)も、一年以上帰国せずに海外に滞在すると「永住する意思がなし」とみなされ永住権を失うことになっている。しかし、アメリカの永住権というのはもともと市民権希望者の暫定的な法的地位であり、永住権取得後5年たてばほとんどの永住権保持者は市民権を取得する。しかし、日本の永住権は、そのまま永住権を持って死ぬまで永住する人がほとんどであり、在日永住者にとっての永住権の重みはアメリカの永住権とは比べ物にならない。

 韓国籍を失った際はあまり大きなショックは受けず、どちらかというと二重国籍でなくなったことの安堵感の方が大きかった。特別永住権を失ったときはそれなりにショックはあった。それは、在日コリアンというアイデンティティと特別永住権というのは密接に関連しているからであろう。でも、そのショックは思ったほどの大きなものではなかった。私の場合は、アメリカに生活の基盤があるということだけではなく、長い海外生活のなかで世界の中の在日コリアンとしての独自なアイデンティティが自分なりに確固として確立されており、日本の永住権喪失等でそのアイデンティティや自己の存在そのものが崩れるものではないからだであろう。アイデンティティというのは極めて主観的なものである。

 逆に、今の若い世代の在日コリアンにとって、この世界にも珍しい特別永住資格がなくなってしまえばどうなるのだろうかと考えてみた。

 在日世代が2世、3世から4世への世代交代するにつれ、在日コリアンのアイデンティティはますますあいまいになっている。一応朝鮮や韓国籍を有する外国人だが本国への帰属心も薄く、さらに日本の中の外国人としての意識も希薄だ。本国から見ても在日コリアンを「同国民」と見ている感じは受けられない。世界的に見ても稀に見る存在である。そのような中で、在日コリアンとしてのアイデンティティを確立するのが非常に難しく、アイデンティティ障害に陥ってしまい、その結果自我の形成、自己確立ができない若い世代が増えてきているように思える。

 心理学的にみても、人間はなんらかの帰属意識を持ちたい欲求をもつ。同じ種類の人間同士の共同体意識を持ち、さらに他者に対しての違いを確認することで自己の存在を確認することができるからだ。自己実現のためにも、帰属意識、アイデンティティがどうしても必要である。

 日本という国にコリアンとして生まれてきてしまった以上、望むも望まないも、なんらかのアイデンティティの確立なしでは自我の形成がおぼつかず、個人として未熟なままになってしまう。別に民族意識のことだけを言っているわけではない。極端な例では、日本人としての帰属意識があまりにも高くなり、コリアンを捨て日本人として生きていく覚悟を決めその結果日本に帰化した人は、それなりに自己を確立しているように思える。しかし、本国や民族への帰属意識も薄く、かといって日本にも帰化しない若い在日コリアン世代にとってのアイデンティティってなんだろう。

 在日コリアンのアイデンティティは、1世から2世、そして最近の3世、4世と世代交代するにつれ、様変わりしてきた。1世は強烈な祖国への帰属意識がアイデンティティの根拠となっいた。よくも悪くも、アイデンティティで悩む必要のない世代だ。日本生まれの2世は、その1世の世代に育てられるなかで、1世のもつ祖国への帰属意識をある程度引継ぎながらも、日本への定住性を強めて行った。2世は定住外国人として「定住性」と「外国人性」の両方をほぼ等しい重みで保持していたと思える。しかし、3世や4世となってくると、祖国への帰属意識が低くなっているだけでなく、自分が外国人であるという意識も薄くなってきている。祖国という言葉にも違和感を感じる世代だ。

 在日コリアンのアイデンティティの根拠の一つとして、対日性が挙げられる。日本に対して、その差別制度や祖国への敵対政策を激しく糾弾することで、在日のアイデンティティを見出してきたと思える。また、日本の左派運動家もそれを望んでいた。日本という「犯罪国家」を糾弾するためには、その犯罪国家の被害者、犠牲者として在日コリアンの存在は必要であった。ただ、永住権を持たない一般外国人が日本に大量に押し寄せ、在日コリアンに対してよりももっと酷い差別や処遇を受けている状況で、在日の対日性、被差別性が薄れてしまい、それに伴いアイデンティティのよりどころも薄れてきた。極論すると、ぶしつけな差別を受けている方が自己確立には役に立つ。

 そのような状況の中で、2世世代が一生懸命に3世や4世の若い世代に、自分のもつアイデンティティモデルを押し付けようとしているが、それには限界がある。つまり、民族や祖国とのつながり、帰属意識、被差別者意識をベースにした在日コリアンのアイデンティティを植えつけようとしているが、そのよなアイデンティティモデルはもう古くて当てはまらないのかもしれない。在日コリアンとして新しいアイデンティティを創出していく必要があると思える。それが何なのか、私にも答えられない。

 一つの面白い例がある。私の在日コリアンの知人が、長男をアメリカの有名高校に留学させた。中学まで日本の学校に通っていた長男は、民族意識の高いご両親に育てられ自分のことを韓国人だという意識はありながらも、日本の学校ではずっと日本名で通い、日本名にアイデンティティを感じていた。アメリカに留学するにあたって、韓国パスポートに掲載されている本名の韓国名で高校生活を送ることになったのだが、その学校は有名校であるがゆえに日本だけでなく台湾や韓国からの留学生が多く来ていた。その学校では、それぞれの国の留学生同士が集まって母国語で話し合い交流を深めていた。学校側も高校生という精神的にもまだ未熟な年齢なので、同じ国出身同士が固まって母国語で話し合っているのを黙認しているどころか、むしろ推奨しているような感じだった。その長男は名前も国籍も韓国だけど韓国語が一切話せず、韓国人学生たちの輪には入れないばかりか、韓国人なのに韓国語を話せないということで仲間はずれに近い仕打ちを受けていた。さらに、名前は明らかに韓国名なので日本人グループにも入りきれていない部分もあり、その学校でかなり孤立していた。彼は両親に、「自分は日本名で通いたい」と懇願した。

 彼の場合は、日本でコリアンとしてのアイデンティティを確立する前に、海外でそのアイデンティティの脆弱さが露呈されアイデンティティ障害に陥ってしまった。もともと韓国語を流暢に話せるはずの民族教育出身者ですら、韓国に行っても「同胞」扱いされない場合が多く、自分が韓国人であるというアイデンティティが揺らいでしまう場合がある。

 相談を受けた私は彼のご両親に「高校在学中は日本人として日本の名前を用いて過ごさせる方がいい」と提言した。私が彼に望むのは、まず学校になじみ英語やアメリカでの教育をしっかり受け、国際人としての素養を立派に身につけることだ。そして、高校を卒業して大学に通い始めたから、自分のルーツのことを考え、できればコリアンとしてのなんらかのアイデンティティを身に着けてほしいと思った。逆に、そのようなプロセスの中で、新しいアイデンティティが創出されるのではないかという期待も持っている。

 在日が世代交代していくなかで、在日コリアン社会はますます多様化、多層化してきた。在日コリアンと言っても、様々な分野でそれぞれの独自なアイデンティティをもって活躍されている方も多い。もやは、在日コリアンのアイデンティティを本国や民族への帰属心として定義すること自体が古い考えで、不可能であるかもしれない。在日コリアンとしての自覚を誰よりも強烈に持っている一般米国人の私なんかは、想定外であろう。アメリカ生まれで日本語が第一言語で親が在日コリアン米国人である我が息子たちのためにも、自分や息子たちのアイデンティティを考えることは、私の人生の課題である。

 今年でNPO法人祐伸科学教育振興会が設立されて10年になる。在日の民族団体から独立し、独自の基準で若手在日コリアン研究者の支援を10年間もの間実行してきたNPO祐伸は、まさしく在日コリアンの新しいアイデンティティ創出に大きく貢献している。NPO祐伸から育っていった若くて能力のある在日コリアン人材が、各分野で活躍し、それが他のコリアンのアイデンティティ確立の手助けになっていくだろうと思える。それ自体がNPO祐伸の歴史的意義だと思い、設立10周年を心からお祝福したい。

プロフィール

Yang, Boo-Ho(ヤン・ブホ)
1988年、京都大学工学部数理工学科を卒業。1989年、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に留学し、1995年1月、知能ロボットの研究で博士号を取得。その後、MIT情報技術研究センターの研究助教授(Research Scientist)に就任し、バイオインフォーマティックス分野で先端医用工学の研究に従事する。その傍ら、米国ボストンで、1998年、MITの同僚とともに、ロボットや工作機械の制御装置を開発・販売するSoft Servo Systems, Inc.を設立。2000年には、先端Java技術を中心に、IT教育やシステム開発で業界オンリーワンを目指すベンチャー企業、(株)12C(トゥウェルヴ・シー)ソリューションズを設立し、代表取締役兼CEOに就任。現在ソフトサーボシステム株式会社CEO。

「科学と未来」第9号に掲載

タイトルとURLをコピーしました