サムスン電子と源泉技術
マサチューセッツ工科大学
梁 富好
私は現在、マサチューセッツ工科大学(以下MIT)に在籍しながら、ソフトサーボシステムズという会社を営んでいる。この会社は、私がMIT機械工学科の研究助教授として研究開発したロボット制御技術を基に、当時の担当教授らと設立したベンチャー企業である。大学で開発された技術をもって開発者自ら企業を興すというのは、アメリカでは極めて自然な流れであり、大学側も推奨している。実際、MITでは工学部の大学院生を対象としたアントレプリュナーシップ(起業家精神)の授業が盛んで、授業内でビジネスプランを書かせ優勝者には起業資金を提供するというコンテストまである。今や破竹の勢いで急成長しているGoogle社も、スタンフォード大学の大学院生が研究成果を基に設立した会社である。ちなみにハイテクIT企業が集中していることで有名なシリコンバレーというのはサンフランシスコ郊外に位置するが、それはスタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校といったアメリカを代表する優秀な大学がサンフランシスコ近辺に集中し、卒業生たちが起業を始めたことが発祥となっている。
さて、ソフトサーボシステムズ社では、ロボットや工作機械、半導体製造装置用の制御ソフトウエアを開発し、様々な機械メーカに制御装置として提供している。当社製品の特徴は、今や一昔前のスーパーコンピュータ並みに高性能化されたパソコンCPUの特徴を最大限に利用することで、従来では実現出来なかった高速で高精度な制御演算を可能にしたことだ。技術が年々発展し生活上のあらゆる製品がより高性能化、高集積化するにつれ、それらの部品や製品を加工したり製造する製造装置もより高速化、高精度化が要求されている。日本やアメリカを中心とした機械メーカのたゆまない技術革新によって、工作機械や電子部品製造装置はますます多軸化され複雑になっているが、その機械を高精度に制御する制御技術も複雑さを増し、もはや機械メーカが単独で開発できるものではなくなってきている。そこで、当社のような制御装置開発専門メーカに制御装置をアウトソーシングするようになってきた。
私も仕事がら、世界中の多くの機械メーカに接することができ、世界の「ものづくり」の最先端技術が、どこでどのように開発・発展しているのかを自分の目で見ることができる。工作機械メーカや半導体製造装置メーカにとって、機械や装置の設計そのものが機密情報のかたまりであるが、その機械の制御装置を開発するためにはすべての機密情報を開示してもらわなければならない。それゆえに、各メーカの先端技術やものづくりのノウハウを垣間見ることができる。最近は半導体や液晶分野で世界での存在感を増している韓国に出張する機会が多く、様々な機械メーカに接し、韓国での技術革新に関しいろいろ感じるところがある。
韓国を代表する企業といえば、言わずと知れたサムスン電子だ。韓国最大の財閥であるサムスングループの中核企業であり、2006年度の年商は約634億ドル(約7兆円)に達し、純利益はなんと85億ドル、1兆円を越えた。半導体や液晶、携帯電話、デジタルメディア製品で世界をリードし、2004年に純利益が100億ドル(1.1兆円)に達したときは、世界最大のIT企業と称賛された。純利益が1兆円というのは、日本では世界に誇るトヨタ自動車と同規模だ。ちなみに、製造業で純利益が1兆円を超えているのは、世界中でサムスン電子とトヨタ自動車だけである。
サムスン電子は、基本的には半導体メモリーや液晶ディスプレイパネルといった電子部品(パーツ)のメーカであり、これらの部材をもとに薄型テレビや携帯電話等の電子製品やデジタル家電も生産している。当然ながら、これらの電子部品や製品はサムスン電子の工場内で、各種最先端製造装置や組立て機械、搬送機械、ロボットによって製造されている。サムスン電子の製品は、昔の「安かろう、悪かろう」というイメージを脱し、アメリカを中心として世界中の市場で高い評価を受けている。特にDRAMやフラッシュメモリー等の半導体製品だけでなく、液晶テレビや第3世代携帯電話でも、世界市場のトップシェアを獲得している。しかし、世界トップメーカに成長したサムスン電子の工場内で日夜稼動している最先端の製造装置やロボットは、ほとんどが日本製やアメリカ製であることは、あまり知られていない。
たとえば、DRAMやフラッシュメモリー等の半導体製品は、様々な工程を経て製造されるのであるが、それぞれの工程には特殊な製造装置が必要である。まずマスク、レチクル製造装置によって作成された電子回路原版と、ウエハー製造装置によって製造されたシリコンウエハーが、ウエハープロセス装置によってウエハー上に電子回路が形成される。そのあと、ダイシング機械や半導体研磨装置によってチップを切り出し、組立て装置によってパッケージングされ、そのパッケージの信頼性と品質を各種検査装置によって試験される。これらの各種半導体製造・検査装置は、日本メーカとアメリカメーカがそれぞれ世界シェアの40%、合計80%を占めて、ほぼこの2カ国のメーカが世界の装置市場を独占している。
また、薄型テレビの主要部品であるガラスは、マザーガラスと呼ばれている大型ガラスが工場内のラインでロボット等によって搬送され切断されることによって製造される。しかし、近年薄型テレビが大型化するにつれ、マザーガラスも少し前の第6世代から一気に第10世代へと超大型化され、薄っぺらくて柔らかな大型ガラスをロボットによって高速に振動なくハンドリングするのはますます難しくなってきている。液晶テレビでも世界市場のトップに君臨しているサムスン電子の液晶テレビ工場には、当然のようにこの大きなロボットが何十台も稼動しているが、そのロボットのほとんどが日本製である。
半導体やパネルがますます高集積化、高微細化、肉薄化するにともない、半導体製造装置やフラットパネル製造装置の性能や精度への要求もさらに高くなってきている。サムスン電子は、莫大な先行投資を行い日本製やアメリカ製の半導体製造装置やフラットパネル製造装置を大量に導入することによって、先行していた日本の半導体メーカをあっという間に追い抜き、世界一の会社に急成長した。しかし、製造装置そのものは、長年かけて培ってきたものづくりノウハウや知的財産、源泉技術を独占している日米のメーカに追い着くことはできず、今後ますます差をつけられると予想できる。
もちろん、果敢な設備投資によって今日まで成長してきたサムスン電子は、源泉技術の国産化を目指し、韓国国内に製造装置メーカを何社も設立し、さらなる投資を行っている。韓国から私の会社に引き合いがあるのは、このようなサムスン電子の子会社メーカからである。彼らが独自に設計し製造する機械の制御装置として、当社の制御ソフトを採用したいというオファーが何社からもいただいた。しかし、彼らが開発している装置は日本の旧世代の装置の仕様であり、日米の最新鋭の製造装置を開発する技術力は残念ながら一夜にして獲得できるものではない。実際、私が何度も訪問しているサムスン電子グループ会社が製造している半導体製造装置は、親会社であるサムスン電子でもまったく採用されておらず、他の国内中堅半導体メーカで採用されるのが精一杯である。当のサムスン電子では、工場が要求するのは子会社が開発している国産装置ではなく、日本やアメリカ製の装置である。
言い方を変えれば、世界最大の半導体、液晶メーカであるサムスン電子には、製品を作るための源泉となっているものづくり技術は乏しく、日米の製造装置メーカに依存しているのだ。サムスン電子の国内ライバルであるLG電子や、海外のライバルである台湾の半導体メーカも同じような有さまだ。片や日本やアメリカでは、巨大な市場であるが利益率が低く過当競争の半導体市場からいち早く手を引き、利益率が高くプレーヤーが少ない製造装置産業に特化してきた。そこでノウハウや知財を蓄積し、さらなる技術革新によって、新興諸国からの競争を跳ね除けている。今や日本とアメリカの両手で数えられるほどの大手製造装置メーカが、世界の装置市場をほぼ独占していると言っても過言でない。
半導体や薄型テレビなどのデジタル家電は、市場が巨大で一見「儲かる」製品のように見える。今後、半導体市場は、AV機器や白物家電、自動車への需要が増えて行き、大きな成長が見込める。またBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国)などの新興市場が成長してきたことで、市場はさらに安定化の方向に向かう。ただ、今の薄型テレビやデジタルカメラのように、「儲かる」製品には多くの企業が群がり、新興市場からの参入によって、価格が暴落する憂き目を見るのもこの市場である。しかし、半導体市場が膨張し新規参入半導体企業が増えるにつれて、一人勝ちしているのがこれらの企業に製造装置を提供している日米メーカであるのは言うまでもない。
もちろん、サムスン電子ほどの大企業が、そうやすやすと中国とかの新興企業に世界トップの座を明け渡すとは考えられない。サムスン電子は、確かにものづくりにおける源泉技術に乏しいが、携帯電話に見られるように斬新なアイデアとデザイン性で、世界市場を魅了していることは明記しておきたい。また経営者の10年先を見据えた積極的な設備投資によって、今の地位を築いて来た。しかし、巨大な資金力をもつ中国の企業が、その資金を大量に使い日米製造装置メーカから装置を大量に導入すれば、中国という急成長市場でサムスン電子の座を脅かすのはそれほど難しいことではないように思える。どのような帝国も滅びないことはない。サムスン電子がいつまでも独自のものづくり技術を持たない限り、いつかは衰退していくのではないかと案じてしまう。
コンピュータの心臓部にあたるMPU(マイクロプロセッサ)などの高付加価値半導体集積回路では米国企業が世界をリードし、機械を作る機械である工作機械の源泉技術では、日本とドイツが世界をリードしている。半導体から工作機械まで、ものづくりにおける源泉技術は、米国、日本、ドイツがほぼ独占状態である。韓国や中国等の新興諸国は、所詮源泉技術の「ユーザ」として、借り物の技術を用い大量にものを生産し販売しているだけである。今後、タイやベトナム、インドのような新・新興諸国が台頭し、いつ韓国や中国が製品市場で世界トップの座を奪われるか、予断を許さない。しかし、今後どのような新興企業が生まれ、誰が世界のトップになろうとも、源泉技術を独占する日米独の機械メーカが儲かり続ける図式は変わらないであろう。
その源泉技術の一つである機械制御技術をもつ私としては、安定成長している日米独の機械メーカに制御製品を販売するだけでなく、今のうち韓国や中国等の新興メーカに制御ノウハウを提供しこれらの国での機械の国産化に寄与することで、市場が急成長すればに自分もその波に乗れないかと、密かに企んでいる。NPO祐伸科学教育振興会から支援を受けた在日コリアン技術者たちの中でも、源泉技術を開発し、世界の市場をコントロールする人材が出てきてくれることを願ってやまない。
プロフィール
Yang, Boo-Ho(ヤン・ブホ)
1988年、京都大学工学部数理工学科を卒業。1989年、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に留学し、1995年1月、知能ロボットの研究で博士号を取得。その後、MIT情報技術研究センターの研究助教授(Research Scientist)に就任し、バイオインフォーマティックス分野で先端医用工学の研究に従事する。その傍ら、米国ボストンで、1998年、MITの同僚とともに、ロボットや工作機械の制御装置を開発・販売するSoft Servo Systems, Inc.を設立。2000年には、先端Java技術を中心に、IT教育やシステム開発で業界オンリーワンを目指すベンチャー企業、(株)12C(トゥウェルヴ・シー)ソリューションズを設立し、代表取締役兼CEOに就任。現在ソフトサーボシステム株式会社CEO。
「科学と未来」第8号に掲載