エッセイ 第6回

エッセイ 第6回

在日東アジア人

マサチューセッツ工科大学
梁 富好

 8月にワールドカップ最終予選の日韓サッカー試合をたまたま日本でテレビ観戦していた際、8歳になる息子が一生懸命に日本代表チームを応援しているのをみて、不快ながらも不思議に思い、思わず訊いてみた。「セホは何人?」すると、親の期待を裏切ってというか、予想通りというか、「セホは日本人」という答えが返ってきた。

 日本で一貫した民族教育を受け、日本人でなくコリアンであることに誇りを持っている私たち夫婦は、それなりに息子をコリアンとして育ててきたつもりだ。しかし、息子には自分がコリアンだという自覚がほとんどない。たまに私たち夫婦が息子に聞かれたくない時に交わす朝鮮語を、朝鮮語ではなく「宇宙語」と本気で信じていたらしい。私たちは「宇宙人」だったようだ。アメリカで生まれ育った息子は、普段は英語を話し日々アメリカ人の友人と遊んでいるので、自分が「アメリカ人」だという答えならまだ理解できる。しかし、やはり「日本人」なのである。

 多分、朝鮮語を話せるにもかかわらず、家庭内では子供に対して日本語だけを使って育ててきた私たち親に問題があったのだろう。「セホもアッパもオンマも韓国人よ」と概念として民族を語っても、使う言語が日本語なら日本人感覚しか身につかないのであろう。さらに、子供の教材として日本の友人や親戚から送られてくるさまざまな日本のビデオや書物を、子供に無制限に与えてしまったのもよくなかった。母親のお腹の中にいるときから囁かれていた言語が英語でもなく朝鮮語でもなく日本語であり、もっとも好きなテレビ番組が「セサミストリート」でなく「ドラえもん」である彼にとれば、やはり日本が一番身近で、自分のことを日本人としか思えないのだろう。

 民族というのは血とか歴史とかいわれるが、彼を見ているとあまり関係のないように思えてくる。彼にとって民族とはドラえもんのようなものみたいだ。もしたまたまドラえもんの主人公の「のび太」がイタリア人だったら、彼は今は「イタリア人」になっているかもしれない。

 アメリカで生まれ育ちアメリカで教育を受けている彼は、いずれは自分のことを「日本人」とは思わなくなっていくであろう。彼がたとえ自分のことを「のび太」のような日本人だと思おうとしても、彼の行動と振る舞いはすでに怪しい日本人になっている。彼の日本語も、英語と日本語が入り混じって英語的な文法で話すおかしな日本語になっている。彼の思考パターンは、近所のアメリカ人児童たちとまったく同じである。学年が進むにつれ、「ドラえもん」に興味を失い、同級生たちと同じようにアメリカ産の数々のヒーローキャラクターに魅せられていくだろう。彼にとって日本とは、一年に一度、夏休みの里帰り先という定義にしかならないかもしれない。

 かといって、日本で生まれ育った在日コリアンの若者がいずれコリアンとして自覚していくかのように、彼もアメリカで「在米コリアン」として自覚していくのだろうか。それは疑わしい。彼の環境と在日コリアンの環境は根本的に違っている。さらに、在日コリアンを取り巻く環境も劇的に変化している。

 多くの在日コリアンは、日本で生まれ育ち、家庭内も学校でもほぼ100%日本語の中で教育され、日本名も使っているものも多い。テレビも雑誌も漫画も、すべて日本のものだ。たまたま民族教育を受け朝鮮語を身につけたとしても、韓国や北朝鮮のテレビ番組のジョークとかでは笑えないが、日本のバラエティ番組では大笑いする。身体的特徴も、日本人に限りなく近い。国際的な感覚と定義からいえば、特に民族教育を受けていない在日コリアンはどこからどうみても「日本人」である。多分彼ら彼女らは、息子と同じ歳のときは息子以上に「日本人」だったに違いない。それが、成長していく過程でコリアンとして「自覚」しはじめ、中には立派なコリアンとして活躍されている方も多い。

 「日本人」だったはずの彼ら彼女らが「コリアン」として自覚していく過程にはいろいろあると思う。親や友人からさまざまな被差別体験談を聞かされたり、直接の経験はないにしても、なんとなく自分が周囲の日本人と違うことを自覚させられる。「外国人登録証」交付という洗礼を受け、いやおうなしに自分がコリアンという認識を強制される。学校内外で朝鮮の歴史を習い、日本の植民地支配やその後の日本社会での民族差別を見聞きしながら、コリアンとしての自覚が芽生える。これが一般的なストーリーのようだ。

 しかし、息子が生きていくであろうアメリカ社会では、かなり事情が違う。まず、アメリカには250万人ものコリアンがすでに存在し、彼らと我々「在日コリアン」は文化も習慣も思考パターンもすべてが異なる。また、韓国からの留学生や長期滞在組も周辺に無数に存在する。日本でコリアンといえばほとんどが在日なので、同じ文化や習慣、悩みなどを共有するもの同士、一体意識が生まれアイデンティティの確立は容易である。しかし、アメリカで息子のような「在日」がコリアンというアイデンティティを確立するのはほぼ不可能であろう。まず周囲に在日コリアンはほとんどいない。彼にとってコリアンというのは、同じ学校に通う韓国からの同級生やその親たちのことを指していて、ネイティブな韓国語を話す彼ら普通の韓国人は、私たちや日本の親戚とは似ても似つかない。したがって、息子が自分のことをコリアンと思えるようになるのは不可能に近い。運がよければ、「在日コリアン系アメリカ人」という、非常に曖昧で希薄なコリアン意識しか持ち得ないだろう。

 在日の若者のように、差別とか抑圧によって「コリアン」として自覚する、というストーリーはどうであろうか?これも疑わしい。我々はアメリカでは、コリアンとしてでなく日本人も含むアジア人としてさまざまな区別や差別を受けている。コリアンだけの特別な差別はほどんどない。だから、差別によって在日韓国人であると自覚するというストーリーがここでは適用されないのである。

 実は私自身もアメリカに17年も住んでみて、コリアンという意識が薄れているわけではないのだが、アジア人としての意識がより強くなっている。特に、アジアの中でも身体的特徴と文化的背景が近い東アジア人としてのアイデンティティが強くなっている感じがする。それがなぜなのかずっと考えていたのだが、やはり上述したように、アメリカという白人と黒人で構成されている社会のなかで、私や息子は「コリアン」として扱われたり区別・差別されているわけではなく、中国や日本を含めた東アジア人として区別・差別されているからである。実際、世界最先進国のアメリカの国民の中では、日本や韓国を中国の一部であると本気で思っている人も少なからずいる。彼らにとれば、日本や中国や韓国間の差は、カリフォルニア州とアリゾナ州の違い程度でしか見ていないかもしれない。

 息子も、彼にとって唯一の社会生活である学校に通いながら、そのような空気を感じとっているようだ。コリアンというよりも、東アジア人としてのアイデンティティ、自覚が強くなっているみたいだ。実際に、彼の学校の友達関係をよくよく観察すると、やはり東アジア系の生徒と仲良くしている。

 結局、私や息子の中での東アジア人としての自覚やアイデンティティは、頭のなかで理解している「民族」という概念から発しているわけではなく、私たちをとりまく環境からそのような自覚が生まれたかもしれない。

 在日コリアンの話に戻すと、在日がコリアンとして自覚してきたのは、民族としてのコリアンというよりも、植民地時代を含め日本が我々をコリアンとして抑圧・差別してきたことが大きな要因の一つのように思える。つまり、在日コリアンの「コリアン」とは、日本と対峙してのコリアンである。在日コリアンよりも、「対日コリアン」という表現の方が感覚的に近い。

 しかし、在日コリアンを取り巻く環境も劇的に変化している。今後在日コリアンがアイデンティティの根拠の一つとなっている「対日性」は、ますます根拠が薄れていくであろう。今の日本の中の差別は、よくも悪くも、多様化されている。在日コリアンだけが外国人でなく、低所得層を中心にアジア各国から労働力(合法、非合法関係なく)が日本に流入してきて、新たな被差別層を形成している。これらアジア人のごく一部による凶悪犯罪は新聞やワイドショー番組をにぎわし、おかげで日本国民の中での彼らに対する差別感情は日に日に強くなっているような気がする。片や、日本社会で在日3世4世が活躍するようになってくると、在日コリアンの社会的地位も相対的に向上し、日本人の在日コリアンに対する認識も徐々に変化しているようである。テレビドラマや映画でも、有名な俳優が在日コリアンの役を演じたりする。そして、空前の韓流ブームが到来した。私が日本にいた頃に比べると隔世の感じを否めない。今や在日コリアンを取り巻く環境は、昔のように差別する日本社会対差別を受けるコリアンという、単純な二極体制ではなくなっている。むしろ、在日コリアンは日本社会の差別構造上でより底辺に位置する新外国人に対しては、支配階級になり差別する立場にたっている。

 もはや、日本社会に対して戦う集団、「対日コリアン」としての生きる規範は、現在の在日コリアンのとりまく環境にはそぐわず、若い在日コリアン世代には説得力が失っているような気がする。生活環境が多様化し、昔のような被差別意識、朝鮮半島への帰属意識が薄れているなかで、コリアンとしての強いアイデンティティを持つのが困難になってきているだけでなく、その正当性も揺るがされている。

 そうなると、今後は在日コリアンは何を規範に、どのように生きていけばいいのだろうか。それは、私にもわからない。そのまま日本に同化し日本人として日本国内で平和に暮らしていくのがいいのか、それとも日本の中でのマイノリティであることに自負心をもち、「対日コリアン」に代わるアイデンティティを求める方がいいのか。私の個人的な経験から言うと、やはり日本人でないことの誇り、自負心、アイデンティティを求めるべきだと思う。

 冷戦構造の崩壊後、限りない資源と経済力、軍事力を背景に米国がグローバルリーダーとしての地位を確固としたものにした。太平洋を挟んでは、中国が超大国アメリカに対する唯一のライバルとして、人類史上稀にみる経済成長を遂げている。さらに、インターネットを中心としたボーダーレスの情報技術(IT)の登場のおかげで、インドや韓国とかの中堅国がその存在感を世界に示している。逆に、ITに乗り遅れた経済大国日本が、米中2大経済圏にはさまれながらも、キャスティングボードを韓国や他国に奪われ、その存在感を失いかけている。中国においては、日本ブランドは、アメリカや欧州に水をあけられているだけでなく、韓国ブランドよりも弱いとされている。

 そのような状況の中で、ITを使いこなす多くの若者は、世界を舞台に活躍している。IT先進国である韓国の若者は、グローバル経済のダイナミズムに敏感に反応し、アメリカや日本だけでなく、中国やインド等、活躍できる機会があると思えば躊躇なく世界に飛びたつ。日本の在日コリアンの若い世代にも、存在感が薄くなっている日本を通り越して世界に活動の場を求めるものも多く出ている。私の住むボストンには多くの優秀な大学が集中しているところだが、在日コリアンの留学生も目立つようになってきた。もはや、日本という狭い枠にとらわれるのではなく、世界を舞台に、グローバルなコリアンとして自分の存在感、存在意義を求めようとしているのではないだろうか。そして、彼らが一歩日本の外に飛び出したとき、17年前に飛び出した私と同じように、在日コリアンとしてのアイデンティティが薄れていき、東アジア人としてのアイデンティティが芽生えるような気がする。東アジア人としてのアイデンティティの形成は、日本と朝鮮半島、中国とその周辺国で形成される東アジア経済圏の今後予想される経済成長によって後押しされ、むしろダイナミックに発展するグローバル経済の中で存在感を維持するために必須となるのではないかと予想できる。

 21世紀に入り世界経済では、EU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易地域)などの地域統合、経済ブロック化が進展していった。それに対抗するために、東アジアにもようやく地域統合への機運が生まれてきた。中国、韓国、日本をはじめ、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国が今後協力しあい、「東アジア経済圏」、さらに「東アジア共同体」が成立し、この地域の経済のさらなる発展と世界経済へのリーダーシップが確立されていくと期待されている。

 しかし、東アジアにおける地域統合形成の経済的可能性はきわめて高いにもかかわらず、日中両国間や日韓間の政治的な軋轢は今後大きなハードルになっていくであろう。このような政治面での課題を解決するには、地域統合の形成に不可欠の「東アジア共同体意識」を醸成させなければならない。この共同体意識こそが、東アジア人としてのアイデンティティである。

 もし在日コリアンが東アジア人としてのアイデンティティを持つことができれば、日本国内のマイノリティである小さな集団の在日同胞が、東アジア共同体構築の中核として東アジアの発展、さらには全アジアや世界経済の発展と安定に貢献できるのではないかと思う。世界人類史の中で存在感がまったくなかった在日コリアンが、東アジア人として少しでもグローバル社会に存在感をアピールできるチャンスだと思う。

 日本人や韓国人、中国人と比べ、在日コリアンはすでに東アジア人としての条件が整っている。日本や韓国の文化、言語、ビジネスに精通している人は多く、それだけでも東アジア共同体では大きなアドバンテージである。さらに、言語面でも在日は有利である。在日は日本語ができるのは当たり前だが、韓国語もできる人も多い。さらに、中国語も習ってみて初めてわかったのだが、非常に習いやすい言語だ。漢字は日本で教育受けたものなら大体が理解でき、漢字の発音は韓国語に近い。さらに文章の構造は英語と似ている。つまり、ある程度日本語、韓国語、英語を話せる在日コリアンにとれば、中国語の習得も容易である。英語を含めたこの4ヶ国語を話せるだけで、東アジア共同体では何不自由なく活躍でき、東アジア共同体形成に多くの貢献ができる。

 在日にとって必要なのは、東アジア人としての人材育成と共同体意識、帰属意識である。今まで生きてきた基盤である日本や在日コリアンのコミュニティを大事にするのはいいことだが、それだけでなく韓国や中国とも積極的に接し、あたかも同じ「民族」のような感覚が身に着けば、東アジア人としてのアイデンティティが確立する。それが備われば、東アジア共同体、ひいてはグローバル社会で存在感を示すことができるのではないだろうか。

 特定非営利活動法人(NPO)祐伸科学教育振興会は、目的意識をしっかり持って各分野で勉学に励んでいる優秀な在日コリアンを支援している。祐伸科学教育振興会の「卒業生」たちが振興会の主旨と意義をよく理解し、一人でも多くの優秀な若者が日本という枠から飛び出し、東アジア共同体の将来を担う人材、ひいてはグローバル社会のリーダーとして育っていくことを祈念する。

プロフィール

Yang, Boo-Ho(ヤン・ブホ)
1988年、京都大学工学部数理工学科を卒業。1989年、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に留学し、1995年1月、知能ロボットの研究で博士号を取得。その後、MIT情報技術研究センターの研究助教授(Research Scientist)に就任し、バイオインフォーマティックス分野で先端医用工学の研究に従事する。その傍ら、米国ボストンで、1998年、MITの同僚とともに、ロボットや工作機械の制御装置を開発・販売するSoft Servo Systems, Inc.を設立。2000年には、先端Java技術を中心に、IT教育やシステム開発で業界オンリーワンを目指すベンチャー企業、(株)12C(トゥウェルヴ・シー)ソリューションズを設立し、代表取締役兼CEOに就任。現在ソフトサーボシステム株式会社CEO。

「科学と未来」第6号に掲載

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