中国千人計画
ソフトサーボシステムズ株式会社
梁富好(ヤンブホ)

先日、弊社の中国での事業パートナーである上海の大手ロボットメーカ(S社)から慌ただしく催促の連絡が来た。私の大学卒業証明書や学位証明書を早急に準備してくれという要請だった。
最初は、相手が突如として私の学歴に疑念が生じて証明書を要求しているのかなと感じたが、特に不快には思わなかった。中国では、海外留学歴を詐称するのが日常茶飯事であることも知っていたからだ。
中国では海外留学経験者が公的機関に就職したりする際には、学歴を証明するために留学先からの卒業証明書だけでなく、大学が所属する海外地方政府による公的な認定書や在外中国領事館からの認定書等も提出する必要がある。さらに、これらの各種証明書を中国中央政府の教育部(日本の文部省に相当)の「留学服務中心=留学サービスセンター」に送付し、彼らが直接留学先や該当領事館に電話やファックス等で証明書の真偽を確認し、ようやく詐称でないことが確定される。確定されれば、教育部から「国外学歴学位認証書」というのが発行される。このプロセスだけを見ても、どれだけ中国では留学歴詐称が多いかがわかるものだ。
実は私も5年ほど前に、後述する理由のために「国外学歴学位認証書」を教育部から発行してもらった。留学先のボストンと中国領事館のあるニューヨークを何度も往復し、大変苦労をしながら証明書類を集めた覚えがある。その国外学歴学位認証書には、私が1995年に米国マサチューセッツ工科大学(MIT)機械工学科で博士号を取得したことが明記されている。つまり、私は中国政府によって「ありがたく」学歴が認められたのである。中国では、MITが卒業生に発行するディプロマ(卒業証明書)よりも、中国教育部による「確認書」の方が100倍効力を発揮するのだ。
話を戻すと、S社からの証明書要請の目的は、あとでわかったことだが私の学歴を疑ったからではなく、中国政府が推進している「中国千人計画」に応募したいがためのものだった。今年度の中国千人計画へ応募締切が迫っており、それで慌てて連絡が来たのだ。
中国千人計画とは、正式名称は日本語で「海外ハイレベル人材招致千人計画」と呼ばれる。この計画は中国共産党中央組織部が率いていて、2008年にスタートした。この計画の目的は、海外の著名な大学や研究機関、ハイテク企業に所属する優秀な外国人研究者や技術者を千人規模で高待遇で中国に招き入れ、中国の技術力向上を図るということである。いかにも中国らしい、カネにものを言わせた壮大な「人材輸入」計画だ。
海外の優秀な人材がこの千人計画に選ばれると、かなりの厚遇で中国に迎えられる。中央政府からは一人あたり100万元(約1,600万円)の一括補助金が与えられる。配属される国内企業や研究機関からも、高額報酬が約束される。さらに帯同する家族の社会保障が整備されるだけでなく、配偶者の就職先や子女の就学も希望通りに手配される。
選ばれた海外人材が中国で居住する自治体からも、100万元レベルの一時金やベンツ等の高級車が自治体予算から別途支給されることもある。地方政府としても、中央政府が進める千人計画に選ばれた技術者が、自分の自治体に居住しながら研究活動をしてもらうことが、誇らしいだけでなく大きな「成果」やPRになるらしい。
配属される中国企業や研究機関も、多大な恩恵を受ける。中央政府からの巨額な研究開発助成金を優先的に交付されることになるからだ。特に民間企業にとれば、自社に千人計画の人材が在籍することは、巨額な助成金はもちろんのこと、その人材を通して中央政府と大きなパイプができることが何よりも魅力だ。なので、一定規模のハイテク企業は、海外に住んでいる人材を見つけてリクルートし、千人計画に応募させるのが常套手段となっている。
そういうこともあり、例年多くの企業が千人計画に応募しており、厳選な審査のうえで毎年数百人の外国人人材が選ばれている。今年までにすでに5千人近い人材が選ばれて「輸入」に成功しているようだ。なんで「千人」計画という名称なのか、意味が不明だ。
実は中央政府による千人計画に呼応して、多くの地方政府でも独自の海外ハイレベル人材招致計画をもっている。例えば福建省には「ハイレベル人材百人計画」というのがあり、福建省の最大都市であるアモイ市でも、「ハイレベル人材二百人計画」というのがある。内容的には中央政府による千人計画の縮小版だが、どちらかというと、地方の共産党幹部が中央共産党に対してPRするためのアリバイ的な政策だ。なので、審査も緩く、審査する能力もなく、それなりに「立派に見える」外国人なら審査に通りやすい。
かくいう私も7年ほど前にアモイ市の当時のパートナー企業と手を結んで、アモイ市と福建省の両方の人材計画の申請し、両方とも合格した。ほぼ同じ内容の申請書を同時に二つの自治体に送付したので、それこそ一石二鳥だった。通常なら、同じ省内で「ふたまた」申請ということで両方に却下されるか、どちらかだけが審査対象になるというのが常識的な考えだけど、中国の地方政府は非常にいい加減か、または大らかなのか、両方とも申請書が受理され、しかも合格してしまった。地方の政策なので私には個人的にほとんど便宜はなかったが、アモイのパートナー企業は地方政府から多大な恩恵や助成金を受けたはずだ。前述した「国外学歴学位認証書」は、そのときに取得したのだ。
そのような私の過去の「実績」を知ってかしらないでか、今回は上海のS社が私に中央政府の千人計画の申請者として白羽の矢を立てたらしい。確かに京都大学やMIT出身とあって、学歴的には千人計画の基準は満たしている。一応卒業後もMITや弊社で、いろんな研究開発を長年主導してきた。けれどすでに52歳。現役バリバリで研究活動ができるわけでもなく、最新技術には頭がついて行かず、なにもお役に立てそうにない。中国共産党中央組織部もバカではないので、そのような私の限界を感じるはずだ。私が地方政府とはレベルが異なる厳密な審査に合格する感じは、全くしない。それでもS社は私の書類を集めて、いろいろあることないことを申請フォームに書いて、申請してしまったそうだ。猫の手にもならない私を頼るぐらいだし、何かよほど大変な事情があるのだろう。
S社は、中国国内産業用ロボットメーカとしては三大メーカの一つに入っているほどの立派なハイテク企業だ。しかし、日本やドイツの産業用ロボットメーカと比べると、技術力の差は歴然としている。自動化が急速に進んでいる中国産業界は未だに国産ロボットを信用せず、比較的高価であっても日本メーカの産業用ロボットを導入している。
中国共産党も国内の技術力を高め国産ロボットを普及させるために、国内のロボットメーカに多大な助成金を交付している。しかし、当然ながら国による助成金の対象は国有企業がメインとなっており、S社のような民間企業は対象外か、または圧倒的に低い額の助成金しか交付されない。国内三大ロボットメーカの中で唯一の民間企業であるS社としては、国から莫大な助成金が交付され活発な研究活動を進めているライバル企業に危機感を抱いても不思議ではない。そこで、形勢を逆転するために、猫の手にもならない私を担いで「千人計画」という無謀な手段を選んだのだろう。
私としてもS社は大事な事業パートナー企業であるので、渋々協力することを約束したのだが、それはとても合格する可能性がないと思ったからだ。これが本当に合格してしまえば、私は形式上でもS社の社員または役員として「勤務」しなければならず、自分の会社を日本と韓国で経営している身としては非常に面倒くさいことになる。しかも、中央政府要人とも何度か定期的に面会する必要もあり、大変面倒くさい。まぁ、その心配は杞憂に終わるだろうけど。
S社の件はさておき、2008年に施行された千人計画は、2015年に発表された「中国製造2025」という10カ年計画とリンクしている。「中国製造2025」に関しては、私が3年前に本誌エッセーで詳細を説明したが、覚えてくれている読者がいれば幸いだ。改めて書くと、「中国製造2025」とは、中国の現状の「製造大国」から「製造強国」へと産業構造を転換させることを大きな目標とし、その第一ステップとして今後10年間で「情報技術」や「ロボット」、「バイオ」等、10大産業を指定し集中的に発展させようとするものだ。最終的には、中華人民共和国成立100周年にあたる2049年までに、技術的にも規模的にもアメリカやドイツを凌駕し世界最強の製造業大国に成長するという、壮大な計画だ。
中国共産党としては、単純に潤沢な資金を助成金という形でばらまいても、技術力が勝手に発展してくれるとは思っていない。技術力を発展させるのは、資金だけでなく、人材がどうしても必要だ。特に国内でいくら優秀な人材を育てたとしても、アメリカや日本の技術にいつまでも追いつけないのも理解している。だからこそ、この千人計画を通して日本やアメリカを含む海外の優秀な人材を引きつけることを、重要政策の一つと位置づけている。
ただ、この中国の千人計画を苦々しく思っている国がある。それがアメリカだ。アメリカ政府としては、自国内の著名な大学や研究機関、ハイテク企業から人材が中国に引き抜かれるだけでなく、アメリカ内で開発された技術や知財、情報までもその人材を通して中国政府に盗用されているのではないかと疑っている。
現在紙面を賑わしている「米中貿易戦争」も、本質はハイテク覇権争いだ。アメリカの中国への課税対象を見ると、中国政府が重要視する最先端テクノロジー関連製品が多く含まれている。アメリカとしては、貿易戦争によって自国の農業等の産業に多大な被害を被ったとしても、ハイテク分野だけはこれ以上の中国による盗用や台頭を絶対に許さないという強い意思を持っている。アメリカ政府は、圧倒的な軍事力だけでなく、先端技術力の優位性も国家安全保障上、絶対に譲れない線だと捉えている。だからこそ、「中国製造2025」とそれを支える中国千人計画はアメリカ政府にとれば脅威と映る。
逆に中国政府としては、この千人計画はアメリカに恐れられるほどの高い価値を持っている。中国はたった40年前まで文化革命が続き多数の人命が失われただけでなく、経済が崩壊し、文化や技術を担う知識人が徹底的に抑圧された。その後の鄧小平による改革開放政策により、人類史上最速最大の経済成長を達成し、アメリカに並ぶ2大経済大国にまで成長した。しかし、その経済成長の原動力は海外からの投資であり、特に教育や技術力に関しては経済規模に見合って成長できていない。「教育は国家百年の大計」と言われるように、人材育成こそ国家の要であるが、人材育成は長期的な計画と投資でのみ可能である。
アメリカとの覇権争いの真っ只中にある中国としては、人材育成に100年も待てないのであろう。早く人材面でアメリカに追いつき、アメリカとのハイテク覇権争いを戦っていかなければならない。そのための重要政策として、千人計画が施行されている。
米中の覇権闘争のカギを握る中国千人計画に、米国籍の私が応募してしまっていいのかなと、このエッセイを書きながらも少々ビビってしまっている。まぁ、私ごとき、米中どちらに転がっても何の影響も及ぼすことはないでの、あまり心配するのはやめるようにする。
ただ、気になるのは最近の習近平政権の強権姿勢だ。この千人計画にしても、単に優秀な海外人材を招聘して国内産業の育成や技術力向上を手伝ってもらうレベルなら、私も十分に理解できるし、協力できる。日本や韓国と比べ若くてギラギラし向上心に溢れる中国人技術者と一緒に仕事すると、自分も若くなった気分(錯覚)になる。アメリカだってシリコンバレーを中心に未だに世界中から優秀な人材を根こそぎ集めている。韓国のサムスン電子も、半導体や液晶分野では日本から優秀な人材を多く招聘し今の「サムスン帝国」を築き上げた。海外人材をあの手この手で招聘する事自体は、どの国でもあることだ。
しかし噂によると、この千人計画で招聘された人材に対して、一部では出身母体の企業や研究機関の企業秘密や知的財産までも「売り渡すこと」を強要しているらしい。アメリカが警戒し怒るのもわかる。すでに米国連邦捜査局(FBI)が調査に乗り出したようだ。
最近になり外国人に対する規制も厳しくなった。千人計画のように優秀なハイレベル外国人には厚遇で招聘するが、あまり中国政府にとって意味のなさそうな外国人は排除されるようになってきている。特に昨年(2017年)に導入された「外国人就労許可制度」はとんでもない制度である。
この制度では、外国人を学歴や職歴、実績、収入、中国語能力等、細かな基準でそれぞれ点数を付けて、合計点によってA類、B類、C類の3つのグループに分類する。千人計画に採用される人材等、ハイレベルな人材はA類に分類され、厚遇で就労できる。博士号を取得していても、世界大学ラインキング100位内の大学の卒業生でなければ、B類に分類され就労や国内の居住にそれなりの規制を受けるようになる。それ以外はC類に分類され、厳しい規制のもとで就労するか、または排除される。
つまり、優秀な外国人人材は優遇するけど、そうでない外国人は出て行けというありえない政策だ。優秀な外国人によって技術力を向上し経済成長を支えてもらおうとしながらも、国内の統治の安定性のためになるべく不必要な外国人は排除したいという、現政権の抑圧姿勢が垣間見れる。中国市場で大儲けしたいという下心を持ちながら、同じ東アジア人として純粋に中国の経済発展にも貢献したいと思っていた私としては、全然おもしろくない政策だ。
今後、中国がどのように発展していくのか、長年の中国インサイダーウォッチャーの私でもよくわからない。人類の歴史では、どの国でも経済成長が開放化、民主化を呼び込んできた。民主化なしの経済成長はありえないと考えられてきた。しかし、今の習近平抑圧政権では、経済成長によって民主化が進むどころか、ますます抑圧体制が強化され温存されている気がする。もちろん、それは経済成長によって得た資金を民生化に回し、国民の生活水準を上げ、満足度を高めていることで、なんとか民主化要求を抑えている。さらに中国の場合は、日本による植民地支配と文化革命によって一敗地に塗れた「中華思想」(中国が世界の文化、政治の中心であり、他国、他民族に優越しているという意識や思想)が、奇跡的な経済成長によって一気に復活し、多くの中国国民が恍惚状態に陥っていると考える向きもある。
人類史上どの国もなしえなかった経済成長を達成した中国が、「経済成長は民主化をもたらす」という人類史を塗り替えて共産党独裁体制のまま経済成長を維持できるのかどうか、興味を持って見続けていきたいと思う。ただ、私の予想としては、中国は中国千人計画や「中国製造2025」を武器にしても、世界一の経済力、軍事力、技術力、そして基軸通貨のドルを抱えているアメリカには絶対に勝てない。昨今の貿易戦争も、すぐに中国が白旗を上げるはずだ。中国は日本や朝鮮半島を含め周辺国への抑圧的な姿勢を改め、周辺国との信頼関係を高めた上で日本や韓国等のハイテク企業や技術者との交流を深め、慌てずに長い時間をかけて人材育成を進めていくべきだ。それが唯一、中国がアジアのリーダーとしてアメリカの良きライバルになれる方法だと思う。
中国千人計画がそのための政策になっていくことを切に願う。そうであれば、私が万が一にでも「千人」に選ばれれば、日中韓の技術交流の架け橋として、亀の甲より年の功、今までの経験や知識を役に立てていければと思う。
NPO法人祐伸科学教育振興会は、今年で設立20年を迎えた。祐伸科学教育振興会は中国千人計画のアイデアを先取りした画期的な法人だ。人材こそが国の宝、民族の宝だという信念を持った申相祐会長が、私財を投じて当法人を設立された。当時日本の奨学金制度から漏れていた在日コリアンの優秀な人材たちに奨学金を支給し生活を支援するというものだ。国家予算300兆円の中国政府による千人計画に負けず劣らず、当財団も20年間で多くの優秀な人材を排出した。彼ら彼女らは、今では日本各地で大いに活躍され、技術力向上に多大な貢献をしている。20年間もの間私財を投じ続けた申会長の偉業を心から称賛するとともに、祐伸科学教育振興会設立20周年を祝福したい。

プロフィール
1965年大阪生まれ。高校を中退後、大検を経て1984年京都大学工学部数理工学科に入学。同学科卒業後、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院機械工学科に留学し、1995年知能ロボットの研究で博士号を取得。その後、MIT情報技術研究センターの研究助教授(Research Scientist)に就任。1998年MITの同僚とともに、米国ボストン郊外でSoft Servo Systems, Inc.を設立。2002年に同社CEOに就任。2006年にソフトサーボシステムズ株式会社を東京にて設立し代表取締役に就任。2014年に韓国法人Soft Motions & Robotics Co., Ltdを設立し、代表理事に就任。現在に至る。
「科学と未来」第19号に掲載