中国からインドへ
ソフトサーボシステムズ株式会社
梁富好(ヤンブホ)
先日、北京で開催された「第一回中国国際サービス貿易交易会」という展示会に参加してきた。この展示会は、経済成長が著しい中国において、今までは主に「モノ」の製造、輸出を軸に急成長してきたが、今後は金融やソフトウエアを含めたサービス業もしっかり育成することで真の先進国入りを目指そうという主旨で、中央政府が鳴り物入りで直接主催した大規模な展示会であった。中国国内でも大々的に報道され、開催初日には温家宝首相も参席した。しかし、温家宝首相や他の政府・党幹部の参席のため、展示会場周辺は大掛かりな交通規制が敷かれ、我々出展者側は会場に近づくこともできず、結局その日はせっかくの初日というのに会場に入れなかった。中身より対面を重んじる中国らしい古典的な一面は、まだまだ健在である。
この展示会には、世界の成長センターである中国でサービス業を展開しようとする企業が世界中から出展した。各国政府も自国内の中小企業の中国進出を後押しするため、政府主催で中小企業を対象に出展企業を募集し、展示会場内に自国のエリアを設置した。韓国と日本も独自のエリアを設置し、様々な中小企業が自社製品やサービス商品を中国人相手に必死でアピールしていた。その中で目を引いたのが、韓国の美容整形クリニックの出展だ。
韓国は言わずと知れた美容整形大国である。ソウルの江南(カンナム)地区に行くと、整形外科通りという街もあり、これら美容整形クリニックの技術は世界一と言われている。客は韓国人だけでなく、日本や海外からもマダムたちがその技術と美容を求めて大挙して押しかけてきている。最近では、裕福になった中国人の訪問客も増えてきているようだ。ソウルの美容整形業者は商魂たくましく、ソウルにいながら海外からの客を待つだけでなく、急拡大する中国富裕層をターゲットに、中国市場に進出しようとしている。この北京の展示会でも、韓国人コンパニオンやクリニック施術者の方々が、裕福そうな中国人マダム相手にいろんなデモを施していた。ちなみに、そのブースで働く韓国人女性の方々はどれも美しく、業種が業種だけにうがった目で見てしまったのは私だけではないだろう。
私がこの展示会に参加したのは、決して韓国エリアの女性を観察するためではなく(一緒に出展した大阪からの参加者の中では、そのような人もいたが・・・)、自社製品を出展しアピールするのが目的だった。過去にも本誌に寄稿した拙文で何度か紹介させていただいたが、弊社は工作機や産業ロボットを制御する制御ソフト(CNC)を開発して、世界中の産業機械メーカを対象に市場展開している。つまり、製造業の中でも最も川上に位置し、サービス業とは対極の業種である。しかし、様々なきっかけと偶然が重なり、このサービス業の展示会に参加することになった。
実は弊社の引き合いで最近増えてきているのが、デンタル(歯科)彫刻機のメーカーである。デンタル彫刻機とは、差し歯やブリッジ、クラウン等の歯の修復物や、さらにインプラントまでを、従来のように歯科技工士の手ではなく、CNCを用いた彫刻機で超精密に自動加工し製造する装置の名称だ。現在デンタル業界では、デジタル化、自動化が急速に進んでおり、以前なら修復物を作成するのに、患者の歯の型を取ってから出来上がるまで最低でも数週間を必要とするだけでなく、技工士が作成する修復物が実際に患者に合っているかどうかを確認し再修正するために、その期間に何度も歯科医院に通う必要があった。しかし、最先端の歯科医院では、3次元スキャナーやCAD/CAM技術等を駆使して、数時間少々でその場で修復物が、一寸たがわず完成する。驚くべき革新だが、その革新技術の中心となるのが、デンタル彫刻機だ。弊社はこれらのデンタル彫刻機メーカ向けに、CNCソフトを提供しており、市場が急成長しているのを肌で感じていた。ただ、デンタル彫刻機といっても、機械そのものは小さなセラミック材料を削るだけなので、自動車産業向けの従来の大型工作機と異なり、簡単に低コストで製造することができる。製造ノウハウはそれほど必要ではなく、デンタル彫刻機の性能を決定づけるのはCNC技術であり、そこに多くのノウハウや技術力を必要とする。
以前から、CNCソフトという源泉技術を持っている弊社が、自社でこのような小型彫刻機を製造・販売すれば他メーカよりも優れた製品を製造できるのではないかと考えていた。今後急拡大するであろうデジタルデンタル市場向けに、CNCソフトでだけでなく、独自CNC技術を利用しオリジナル性と機能性が高い彫刻機を製造し販売すれば、今よりもはるかに大きな事業になるのではないかと期待していた。そこで、とあるきっかけで弊社でもこのデンタル彫刻機の試作機を製造することになり、この展示会に出展するはこびとなった。
中国では以前から富裕層が増えてきていたが、彼らはあまり歯には気をつけていなかった。私は数年前から中国各地の大きな機械メーカを何社も訪問してきたが、オーナーたちは日本では想像もできないぐらい大金持ちであり、日本ではなかなかお目にかかれない超高級車を何台も所有している。しかし、よく見ると歯は黒ずんでいたり欠けていたりする。非常にアンバランスである。歯だけでなく、美容に投資する意識は欠けていた感じがした。しかし、最近は北京や上海の町並みに、いかにも富裕層向けの豪勢が歯科医院が目立つようになってきた。ようやく他の先進国並みに、富裕層の中で見かけや美容を大事にしようとする意識が芽生えてきたようだ。前述した韓国美容整形クリニックの展示会でのブースが大繁盛していたのもうなずける。弊社もこれら韓国美容整形クリニックの商魂に負けじと、今後急成長するであろう中国デンタル市場向けに、いち早くデンタル彫刻機を売り込むためにこの展示会に出展したのである。
ただ、展示会そのものは事前の宣伝ほどは大きな成果を収めなかったようだ。期間中の来客数も、政府が見込んでいた数よりもはるかに下回った。実際期間中、上記韓国エリア等を除き、会場内はがらんとした雰囲気があった。展示会後半になると、来客数を強引に増やすために、近くの地下鉄駅で無料入場券が配られ、子供やその面倒を見ているおじいちゃん、おばあちゃんたちも含め、多くの一般市民が押し寄せ、意味もなく大混雑した。やはり昨今の中国経済の冷え込みもあり、厳しい現実を実感させられた。
書店では、これ見よがしに中国経済の崩壊やバブルの崩壊という見出しの書物が増えてきた。もちろん、私自身は中国経済が崩壊するとは思っていない。もともと今の中国経済の冷え込みは、ギリシャ債務危機に端を発するユーロ金融危機の影響や政府当局の金融引き締政策の影響によるものだが、ユーロ金融危機の悪影響は中国よりも他の国の方が多く受けている。また、アメリカや日本、欧州等の他の先進国よりも金利水準がはるかに高い分、金融政策に余裕があり、実際つい最近利下げを実施し景気回復の後押しとなった。利下げの余地のない他の先進国からすると羨ましい限りで、世界経済のけん引役としての中国の存在感は健在である。もちろん過去10年間のような二桁成長は見込めないのは否定できない。ただ、それでも日本やアメリカの数%の成長に比べて、最低でも7-8%程度の成長率を見込める中国市場はまだまだ魅力的である。急拡大している富裕層向けのビジネスもこれからである。私のCNC技術が多くの中国人に素敵な笑顔(美しい歯)を届けるようになる日は、それほど遠くないと信じている。
書店での挑発的な中国関係の書物の隣で目立ってきている書物が、インド関係だ。「世界の巨大市場、中国とインド」、「中国の次はインド」という類の書物が非常に多い。インドも中国と同様に、巨大な国土と人口を抱えた潜在的経済大国だ。インドの12億人の人口は、現在は中国の13億人に次いで世界2位だが、2025年には中国を抜いて世界一になると予想されている。ただ、インドも韓国・北朝鮮と同様に分断国家であり、イギリスによる統治から解放された際にインドとパキスタンに分断された。さらに、その後バングラデッシュも分離独立した。これらの国を含めた旧インドで人口を見ると、1998年の時点ですでに中国を抜き去り世界一の人口となっている。今では15億人以上の世界最大のインド圏市場を形成している。
もちろん、昨今の欧州金融危機の余波はインドにも影響し、直近四半期の経済成長率は過去5年で最低になったようだ。しかし、それでも過去10年近く、中国のような二桁成長ではないが、平均して9%の経済成長を維持し、優良新興国として世界経済での存在感が増している。
長年国境紛争やチベット問題を抱える中国とインドは、基本的に仲が悪いことで有名だが、政治や経済事情も非常に対称的だ。中国は共産党の一党独裁政治だが、インドは世界最大の民主主義国家である。中国は製造業を含む鋼工業を中心に経済成長を果たしてきたが、インドはGDPに占める鋼工業の割合は4分の1ぐらいしかなく、主にITやソフトウエアを含めたサービス業と農業が主要産業だ。特IT関連産業の伸びが著しく、遅れた「農業国」から「IT(ソフトウエア)大国」に変貌しつつある。
ただ、製造業に偏り過ぎた中国がソフトウエアを含むサービス業の育成に力を注いでいるのと同じように、インドでも製造業の育成に力を注いでいる。製造業のなかでも、機械を製造する機械としてマザーマシンと呼ばれている工作機械は製造業の要であり、工作機械を輸入に頼らず自国内で十分に製造できるかどうかが今後のインドの健全な成長を見極めるうえで大きなポイントとなるであろう。そういう意味で、現在インドで注目されている都市が、インド南部の最大工業都市バンガロールだ。
バンガロールは産業と科学の街と呼ばれている。「インドのシリコンバレー」とも呼ばれ、IT都市として世界に知れ渡っている。また、インド最高峰学府の「インド科学大学=Indian Institute of Technology」を始めとし、大小含め100校以上の工科大学がバンガロール近辺に存在し、毎年4万人近くの優秀な技術者を輩出している。
一般的にバンガロールはITやソフトウエア産業で有名だが、工作機械産業のメッカであることでも有名だ。インド大手工作機械メーカのほとんどはバンガロールに拠点を置き、多くの日本やドイツの工作機メーカも、バンガロールに営業拠点や合弁企業を設立している。
工作機械の頭脳部分であるCNCソフトウエアを販売している弊社としては、インドの工作機械市場は極めて魅力的である。特に、すでに世界最大の工作機市場になってしまった中国よりも、のびしろのあるインドの方が、弊社のようなベンチャー企業には最適かもしれない。今まで何度かインドからの引き合いもあった。インドの顧客からだけでなく、周囲からも一度はインド市場を自分の目で見るようにとアドバイスも受けていたが、実際足を運ぶことはなかった。
私はどちらかというと、冒険が好きでどんな事柄も自分で確かめたがる性格だ。聞きなれない国や地方から引き合いがあれば、部下の営業担当に行かせるよりも、まず自分から「特攻隊長」として訪問してきた。学生時代もアフリカの最貧国ガーナに1ヶ月間ボランティアで過ごしたことがある。どんな国でも行きたがる性格なのだが、どうも無意識的にインドは避けていたような感じがした。本文のようなエッセーやセミナーで世界経済を話す機会があれば、インドに関しても話すことはあるが、実のところ訪問したことがなかった。
しかし、ようやくインドに対する自分の殻をやぶり、つい先日インドを訪問してきた。上述の北京での展示会最終日の翌日、中国からバンガロールへの直行便に搭乗し、生まれて初めてインドの土を踏んだ。
今回のインド出張は、インド最大の工作機械メーカグループの招待によるもので、彼らの工作機の制御ソフトの一部を弊社が開発する契約の締結のために訪問した。二日間のタフな交渉の末に無事に契約にこぎつけることができたが、その間、彼らの工場だけでなく、バンガロール各地を案内してもらい、インドに対する見聞を広げることができた。
もともと私にはインド人の友人が多い。私が通ったマサチューセッツ工科大学には、インドからの留学生が数多く在籍し、みんな例外なく天才的に頭がよかった。私の住むボストン近郊は教育熱心なコミュニティで有名だが、子供の通う学校でもインド人生徒は優秀な子が多い。特に数学に関しては、圧倒的である。私の長男はもともと中学時代に数学の成績がトップクラスで、地域の数学コンテストでも表彰されたりもしたが、高校に進学するとインドからの留学生には太刀打ちできず、自信をなくしかけている。日本や韓国では、小学生のときに、一桁の数字同士の掛け算(いわゆる「九九」)を覚えさせられるが、インドでは二桁の数字の掛け算まで暗記している。
数字の「0」を発見したというインド人は、DNA的に数学に優れているのだろう。DNAだけでなく、教育にも非常に熱心だ。妻のママ友にもインド人ママが何人かいるが、みんな子供の教育には妥協がない。もともと韓国や中国家庭の教育への熱心さは世界一だと思っていたが、さらにその上を行くのがインド人家庭だ(少なくともアメリカでは)。数学に優れたDNAを持ち、世界一の教育ママゴンに育てられたインド人生徒には勝てそうにないことを、息子はすでに気づいている。
インドでIT産業が著しく成長したのも、このDNAによるものだろう。ソフトウエアは基本的に数学と同じである。優れた数学者から、優れたソフトウエアが生まれる。ソフトウエアとの親和性がありグローバル言語となっている英語が公用語であることも、インドが世界のソフトウエア開発のメッカになっていることと関係する。ソフトウエア産業がほとんど育たず、製造業に特化している中国とはまさしく対極である。
中国とインドがよく比べられたりするが、この二つの国は本当に異なる。世界最大の富裕層が形成されつつある中国では、従来の成長を支えた外需に頼るのでなく、今後内需が拡大し、アメリカのように国内消費をベースに経済がより成長していくのではないかと思われる。一方、インドは未だに貧困層が総人口の25%を占め、世界最大の貧困人口を抱えている。バンガロールでも、高層ビルとスラム街が混在しており混沌としていた。しかし、これらの貧困層が内需を支えている部分もあり、インドGDPの4分の3が内需である。今後製造業は発展し、鋼工業の輸出も増えていくのではないかと思われる。
今回のバンガロール訪問では、ソフトウエアだけでなく、製造業、さらにその要である工作機械産業も急速に成長していることを肌で感じることができた。今後、私もますますインドを訪問する機会が増えてきそうだ。素手で器用にカレーを食べれるようになるのも、時間の問題であろう。
世界経済は激動の真っ只中だ。大手企業にとれば、経営の舵取りは大変である。かつて携帯電話最大手だったノキアのように、一歩間違えば、奈落の底に陥る可能性もある。しかし、失うものもないベンチャー企業にとれば大きなチャンスである。特に激動の激しい中国やインドのような新興市場は、チャレンジし甲斐のある市場ではないだろうか。在日コリアンには、もともと戦後の激動期にパチンコ業をはじめとして様々な新規産業を作り上げた一世のDNAを引き継いでいるはずだ。このベンチャーDNAを持つ在日コリアンのなかで、今後は世界で活躍してく若手人材がどんどん出てくるのを切に願う。
プロフィール
※1965年大阪生まれ。大阪朝鮮高級学校を中退後、大検を経て1984年京都大学工学部数理工学科に入学。同学科卒業後、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院機械工学科に留学し、1995年知能ロボットの研究で博士号を取得。その後、MIT情報技術研究センターの研究助教授(Research Scientist)に就任。1998年MITの同僚とともに、米国ボストン郊外でSoft Servo Systems, Inc.を設立。2002年に同社CEOに就任。2006年にソフトサーボシステムズ株式会社を浜松にて設立し代表取締役に就任、現在にいたる。
「科学と未来」第13号に掲載