陳泰駿

「博士」になるということ

朝鮮大学校 理工学部 助教   陳 泰駿

 2018年3月。私は幼き頃からの「夢」を叶えました。アカデミックガウンを着て東京大学の赤門をくぐり、学位記を受け取った時の感動は、一生忘れることはないでしょう。「博士」になるということは、自分の想像以上に喜びと誇りを満たしてくれました。
 小学生の頃、授業中の簡単な実験を家でいろいろと工夫してやってみるほど、理科が大好きな少年でした。そんな幼い好奇心から、何かを研究する博士になることをぼんやりと思い描いていました。中学校、高校でも変わらず理数科目を好んで勉強し、大学では主に化学を専攻して自然科学を思う存分に学びながら、大学院でより専門的に研究することを志しました。それまでは、面白い自然科学をもっと学びたいという、知的好奇心が原動力にあったと思います。そんな自分だけの世界に変化が訪れたのは、大学の友達らと卒業後について話し合っているときでした。
 「博士になってどうするのか」。これまで博士になることだけを夢見てきた自分にとって、その先を考えさせられる問いは、非常に難しいものでした。
 そもそも、なぜ博士を志してきたのか。その根本的な理由には、学校の理数科目から自然科学の楽しさを感じ、もっと探求したいという知的好奇心があります。それは確かですが、この気持ちが芽生えて育まれたのは、自然科学を思う存分に学ばせてくれた環境があったからでしょう。特に、科学の世界を楽しそうに教えてくださった先生方の姿は、学問への好奇心を掻き立ててくれました。つまり、学びの環境が研究者を目指す動機を支えていたのです。

 自身が夢中になれたように、後輩たちが自然科学をとことん学べる環境をつくりたい。そのような思いが、博士になる意義を見つめ直させてくれました。教えること以上の多くを知らなければ学問をしっかり伝えることはできず、自然科学では顕著にその事由が表れます。言い換えると、自分が多くを学べば学ぶほど、幅広く、奥深く教えれることになります。ある専門分野で多くを学んだ証しこそ、博士の学位であるといえます。博士になることによって、自信をもって後輩たちに自然科学の楽しさを伝えられる。「研究者としての夢」であった博士が「教育者としての理想」とつながりました。
 大学で学術的な好奇心と目的を明確にしてからは、大学院で生化学に関する研究活動に没頭して多くを学びました。5年間の苦闘の末、ついに念願の博士学位を取得し、今の大学教員に就くことができました。
 これでやっと、博士になったその先を進めていくスタートラインに立てました。現在、大学で専門的な講義や研究指導に精を出しながら、小中学校と高校で理科実験や経験談の講演なども行っています。研究者として、教育者として自然科学の楽しさを伝えられる日々を噛み締めています。
 「博士」になるということは、やはり喜びと誇りを満たしてくれています。

略歴

2009. 3 京都朝鮮中高級学校 卒業

2009. 4 朝鮮大学校 理工学部 理学科 入学

2013. 3 朝鮮大学校 理工学部 理学科 卒業

2013. 4 京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 修士課程 入学

2015. 3 京都工芸繊維大学大学院 工芸科学研究科 修士課程 卒業(修士学位取得)

2015. 4 東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程 入学

2018. 3 東京大学大学院 総合文化研究科 博士課程 卒業(博士学位取得)

2018. 4 朝鮮大学校 理工学部 助教 着任

「科学と未来」第20号に掲載

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