姜時友

(独)理化学研究所  姜 時友

 此度、祐伸科学教育振興会が創立10周年をお迎えられ、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。ここに10周年をお迎えになりますのも、貴会の皆々様のご努力とご熱心さ、また何より在日同胞社会における研究者を始めとする各種専門家へのご支援という、設立から今日に至るまでのご理念・お志の高さゆえのこととご拝察申し上げます。
 現在私は、理化学研究所・脳科学総合研究センター・脳回路機能理論研究チームの研究員として研究活動に従事しています。所属にもあるように、脳という生体情報処理装置への理解を目的とする神経科学分野の研究を行っており、その中でも特に計算論的神経科学と呼ばれる理論分野を専攻しています。脳の理解といっても様々な階層やアプローチが存在しますが、私は主に高次脳機能の主体である大脳皮質局所回路の理解を目指す研究を行っています。大脳皮質局所回路を理解するためには、情報処理基盤としての神経回路構造に対する理解とそこから生まれる神経活動、そしてこれらが織り成す計算原理・情報処理機構の解明を並列して行う必要があります。私は理論と実験双方からのアプローチによって大脳皮質局所回路の統合的理解を目指しています。具体的なテーマとしては、ラット大脳神経活動の解析を通じて、睡眠時記憶固定に関連した集団神経スパイク活動の再生に対する研究などを行っています。また、再生的活動が出現する徐波睡眠の活動パターンがどのように生じるのかを計算モデルによって明らかにする研究にも取り組んでいます。私が所属する研究室は、理論と実験を並列して行い両者から得られた相補的な知見を有機的に結合することによって、神経科学研究を学際的に推進していくことができる日本では数少ない計算論的神経科学の研究室です。
 そんな私が、貴会を知ったのは博士後期課程に進学したころでした。その頃の私は、より良い研究環境をもとめて、計算論的神経科学における優れた研究者である現在の上司に師事することを決意し転属した折でした。しかし、転属によって素晴らしい指導と研究環境改善を得ることができた反面、一般的な大学院に見られる学費軽減などといった救済措置が当時確立されていない転学先だったことが影響し、経済的には大変な負担を強いられることとなりました。そのような状況に置かれていた私にとって当会からの支援は、研究生活において大きな励みとなったことは言うまでもなく、研究活動そのものを継続できるかどうかの分水嶺となったといっても過言ではありませんでした。
 そのような支えのおかげで、大学院生活をただただがむしゃらではありましたが無事終えることができ、現在も研究活動を継続させていただいています。社会人として責任ある立場になるにつれ、研究に携わるものとして引き続き知的活動に邁進することはもちろんのことですがそれと同時に、研究者個人としてのみならず自身を取り巻く集団に対して貢献すべきという気持ちが尚一層強まっています。特に在日同胞社会に対してどのような役割を果たすべきなのかを以前にも増して考えるようになってきました。
 在日同胞を取り巻く社会情勢はここ数年激変しています。列強に囲まれ翻弄され続けてきた私たちの母国における歴史のように、依然在日同胞は居住国である日本の政治的社会的要因によって大きく左右される状況に置かれていると言えなくもありません。特に母国と居住国の外交関係悪化よる影響が、残念ながらここ数年在日同胞社会にも暗い影を落としています。ですが、後漢書に「疾風に勁草を知る」という言葉がありますように、新時代における在日同胞には、不確定な外的要素に翻弄され続けるのではなく環境変化に適応しさらには環境そのものを変革するような能力が要求されていると思います。地理的歴史的要因により在日同胞は、その存在の本性として、居住国における自我の異民族性を自覚し国際感覚の萌芽を生得的に内在させる稀有な存在であると思います。また、素朴な良心や民族愛、同胞社会に対する帰属意識を尊ぶのはもちろんのこと、それらに情熱を燃やすことが決して重圧や負担となるのではなく、むしろ自身の人生における強力な動機付け、さらには起爆剤と称するまでに昇華できる伝統的・文化的な素地があります。事実、そのような集団としての力を発揮することによって今日まで様々な道が開けてきましたし様々な可能性が生まれてきました。これも在日同胞の前世代たちが築いてくれた礎があってこそのことですが、この恵沢を単に享受するだけでなく、その恩義に報いるためにも、また後輩たちのためにも、先人たちが開拓してくれた道をより確固たるものとして舗装し、さらに新たな道を開拓するのが私たちの世代の役目だと思います。その原動力、手段としていわゆる「知の力」が重要な軸であることは言うまでもありません。我々若い世代が、その克己心と国際感覚はもちろんのこと深い知識と高い専門能力を背景に地球規模で活躍できる真に聡明な人材へと成長していかなければならないと思います。また、今後の在日同胞社会の明るい未来図は、理工情報系研究者のみならず、人文社会科学系研究者・各種専門家・有資格者・起業家・教育者・芸術家をはじめ、さまざまなフィールドで活躍できる人材を数多く輩出し、何よりそのような在日同胞知識人コミュニティの紐帯を深めることによって現実化できると思います。在日同胞若手においては実際に、次世代の同胞社会を切り開く情熱さながら、その人的ネットワークの構築・拡大を図る場が数多く始動しています。私自身も、知的好奇心と学問的浪漫の充足を求める研究者として人類社会に貢献できるような美しい知の創出を目指すのと同時に、在日同胞社会の地位向上に貢献し上述のような時代の流れの中でいくばくかでも役割を果たすことができればこれに勝る喜びはございません。
 今後の貴会の活動が、在日同胞知識人における親睦や交流はもちろんのこと、実際的な共同研究や産学連携の萌芽となり、在日同胞社会における発展・飛躍へとつながることを期待してやみません。結果、居住地日本だけに留まらず、既存の枠組みをも超えた国際的な活躍につながる橋渡しとなり、豊かな在日同胞社会とその明るい未来の実現に至ることを切に願います。最後に、今一度の感謝の気持ちとお祝いの言葉とともに、貴会の今後尚一層のご発展ご躍進を祈念しながらご挨拶とさせていただきます。

【略歴】

1998年3月
朝鮮大学校 理学部 物理学科 卒業

1999年4月~2001年3月
明治大学大学院 理工学研究科 基礎理工学専攻 博士前期課程 修士号(理学)取得

2001年4月~2004年3月
玉川大学大学院 工学研究科 生産開発工学専攻 博士後期課程 博士号(工学)取得

2003年4月~2005年3月
日本学術振興会特別研究員

2005年4月~現在
(独)理化学研究所・脳科学総合研究センター・脳回路機能理論研究チーム 研究員

2007年11月~現在
理研BSI-TOYOTA連携センター 認知判断モデル連携ユニット 兼務

 

「科学と未来」第9号に掲載

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